湖国と文化編集長 月記 | びわ湖芸術文化財団 地域創造部

本誌交換をしている湖北(滋賀県東北部)の季刊雑誌「みーな」の第134号が届き、表紙を見て驚きました。
長浜市余呉町にある古刹「菅山寺」の特集なのですが、山門の両脇に立っていたシンボルの老ケヤキの1本が昨年の台風で根元から折れてしまったのに、2本健在の写真が表紙を飾っていたのです。折れたニュースは新聞の県内版でも報じられていますが、事実を知らない読者には「誤ったイメージ」を与えかねません。なぜ古い写真を使ったのか。表紙に断り書きか注釈が欲しいと感じました。
「みーな」や小誌のような季刊雑誌の場合、春の桜のように季節の写真を使う場合、前年のものを使わざるを得ません。しかし、その場合は、現状と(大きな)違いがないか、確認することが大前提です。注意深く読むと、目次のところに、2014年5月撮影と注記してあり、また、本文中では、特集の中程、18ページからの「菅山寺の樹木たち」の項などで1本になったケヤキの写真や説明が出ています。じっくり目を通すと分かる訳ですが、大方の読者は見過ごしてしまうでしょう。

なぜ、ケヤキにこだわるかというと、実は、小誌第163号(春号)の連載「みちくさ近江」で筆者の三宅貴江さんが「菅山寺」を取り上げており、その記事に引かれて私も3月下旬に現地を訪れたばかりだったからです。近くに一等三角点の山・呉枯の峰(くれかれのみね、531.9m)があることもあり、菅山寺に何度か訪れていますが、ここしばらくは足が遠のいていました。しかし、1本になってしまった山門のケヤキをこの目で確認しようと数年ぶりに訪れたのです。
すっかり裸になった落葉樹林のブナ帯のなかに、菅山寺はひっそりとたたずんでいました。そして倒れたケヤキは横倒しになったままで、とても寂しい光景でした。ですが、もっと寂しかったのは、三宅さんが「人も仏も鐘も去った」と書かれているように、がらんどうになった境内です。前回、訪れたときにはまだ重要文化財の梵鐘が鐘楼にあり、山寺の風情を保っていました。しかし、今回は「まるで廃墟」でした。
今号の「みーな」によると、鐘が下ろされたのは大雪で傷んだ鐘楼の修理話が発端。鐘楼の修理と鐘の修理の二つの話が市や地元で進められた結果、経費がかかる鐘楼の修理は見送られ、梵鐘の修理・管理の話だけが補助金がらみで進み、2014年に下山となりました。現在は美術品として里坊・弘善館内に安置されていますが、二度と鳴らされることはなさそうです。しかし、こうした地元の判断は少々安易だったと思われるのです。
仏はふもとに下ろしても、拝むことはでき、法要も営まれています。しかし、鐘の場合は盗難防止などの理由で下ろしたのでしょうが、鐘の役目を終えてしまいます。菅原道真公ゆかりの山寺「菅山寺」ですが、参拝する人が誰もいない「菅山寺跡」になってしまいました。

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