1月にあった里山歩きの会の新年総会で、寝耳に水の「伊吹山入山料」の話が話題になりました。地元の関係者に当たるとどうも真実らしいので、知り合いの朝日新聞大津総局長に雑談の話題として提供したところ、早速、滋賀版の記事となりました。それが引き金になった訳ではないでしょうが、1月末、滋賀県や米原市、関係企業や守る会などで組織する伊吹山自然再生協議会が入山料導入(高校生以上、300円)を正式に発表して、各紙をにぎわせることになったのです。
山を愛する一人として見過ごせない事柄なので、2月中旬に再生協議会の事務局となる米原市環境保全課に取材を行い、4月1日発行の「湖国と文化」第147号春号に緊急報告として掲載することにしました(春号の52~53頁を読んでいただければ)。というのは、各紙の論調が(富士山千円の時代、伊吹山でも)「入山料やむなし」とおおむね、理解的、好意的過ぎたためで、年に1回は伊吹山に登山している者として、ひとこと、意見を述べるのは義務だと感じたのです。
登山者の激増による自然破壊や有料となると、すぐ、尾瀬沼が頭に浮かびます。しかし、ここは現在、有料にはなっていません。東京電力の管理など複雑な問題があったようですが、山小屋が猛反対したことが大きく、実現には至らなかったのです。ところで現在、全国で「入山料」をとっているところは世界自然遺産の屋久島や東北・白神山地など10ヵ所。トイレなど深刻な問題を抱えるところが多いようですが、入山料をとってもなかなかうまく行っていないのが実情です。再生協議会では先行例として岐阜県飛騨市にある天生(あもう)県立自然公園を平成24年に視察していますが、ここは貴重な動植物が多い湿原地を公園化しているところで、入口も1カ所で「管理しやすい」利点があります。こうした「公園」のケースを、自然の山に当てはめるのはいかがなものか、というのが第1の疑問です。
伊吹山の問題点は明らかです。それは、伊吹山ドライブウェイの存在です。といってもドライブウェイが悪いというのではなく、もう観光の山になっているのですから、それを念頭において対策を考えなければならないと思うのです。私は車やロープウェイを利用する人も広義の登山者だと思いますし、麓から上るのが善で、車やバス利用が悪だとは思いません。しかし、圧倒的に多数をしめるドライブウェイ利用の実態をそのままにして、ひとまとめにして対策を考えることには疑問を感じます。
自然の山として伊吹山には岐阜県など四方から登山道があったようです。しかし、ドライブウェイで寸断されたり、とくに西側は採石場の存在で道がなくなったりして、現在、登山道は事実上、南山麓の米原市上野からの登山道(県道)1本になってしまいました。そこに登山者が登るのは当たり前です。こうした山岳環境を考えずに、登山ブームの結果、道が荒れたというのは、どうでしょうか。これが第2の疑問です。
再生協議会は平成20年に発足し、入山料の話題がでたのは平成21年度の終わり、つまり平成22年3月からだそうですが、その経過を見ていると、「入山料」をとるために運営されてきたような感じを受けます。県や地元の市は「県や市の負担を軽減したい訳ではない」といっていますが、実態は、「受益者負担の名目で、取りやすいところ(登山者や観光客)から取る」という安易な姿勢だと思われます。
そんなことより、再生協議会にはもっとするべきことがあると思います。
それは、登山や自然を中心とする伊吹山の環境がこのままでいいのか、ということです。
現在、登山口の米原市上野にいくと通りに面する家ごとに「駐車料500円」といった看板が立ち、住民の目が光っていて、少しの間も車を停める場所はありません。また、スキー場はなくなってしまったのにスキー民宿ばかりの印象で、町としての魅力も感じられません。これで、近畿を代表する山の登山口の街といえるのでしょうか。伊吹山は古来、山岳信仰の地でもあり、豊かな遺跡の地でもあります。これらを埋もれたままにするのももったいないと思います。
山や植物群落が荒れたから、金をとるというのは短絡過ぎます。
再生協議会には、「いかに金をとるか」ではなく、「いかに伊吹山の(潜在的な)魅力や価値を発掘、再生するか」を考えてほしいものです。