事件報道について思うこと - びわ湖芸術文化財団 地域創造部

 文を書いたり、編集したりする毎日なので、いつも新聞や雑誌の表記(表現の仕方)が気になります。とくに気になるのが事件報道での被害者(続き柄)の表記です。
 3月に起き、誰もが仰天したと思われるチュニジアの博物館襲撃事件で、犠牲者のなかに日本人3人が含まれていました。事件を報ずる記事で、A紙は「死亡したのは成沢万知代さん(66)、宮崎遥さん(22)と母チエミさん(49)の女性3人」と書いていたのです。これを読んだとき、「発表資料通りに記事化したのかな」と思いました。普通、母と娘については「宮崎チエミさんと娘の遥さん」と書くところです。念のために他紙を読んでみましたら、やはり「宮崎チエミさん、遥さん親子」(Y紙、S紙)、「宮崎チエミさん(49)、遥さん(22)=いずれも埼玉県狭山市」(М紙)となっていました。
 親子の場合、表記は親・子の順に書くのが一般的です。なぜ、娘から書いたのか。A紙には、何か意図するところがあったのでしょうが、記事から意図はわからないままでした。
 娘中心に書いているので、続報でも「遥さんはチエミさん、父親の3人暮らしだった。父親とみられる男性は(中略)沈痛な面持ちで自宅近くからタクシーに乗った」と報じていました。この結果、同じ被害者でもあるチエミさんの夫であることが欠落してしまいました。他紙では「二人は、(中略)、チエミさんの夫も含めた3人暮らし。自宅からは親族とみられる男性が出てきたが無言のまま」などでしたが、こちらの方が随分素直です。
 A紙は娘主体に書いてしまったために、続報でもつじつまを合わせたのでしょう。しかし、なぜ、紙面化する前にチェックしなかった(できなかった)のでしょうか。見出しにはきちんと「母娘の旅行 暗転」となっていたからです。
 表記と言えば、川崎のリンチ殺人事件も気になりました。新聞、テレビとも一貫して川崎市の「上村遼太さん(13)」となっていたように思います。
 記憶は定かではないのですが、かつて事件報道で高校生以下のような未成年者(被害者)を表記する場合、保護者の名前を出していたように思います。だからなぜ、「上村○子さんの長男(または息子)遼太さん」としないのかと疑問に感じたのです。
 被害者は島根県の隠岐出身で、両親の離婚に伴い、母親の故郷である川崎にやってきたと報道されています。母親の存在を明らかにしないのは、こうした母子家庭に対する配慮があるのかも知れません。しかし、母子家庭といっても、父親と死別したケースもあり、一概にマイナスイメージだと決めつけるのはどうでしょうか。母親の存在を表に出さないのは、「母親の側に放置や保護放棄などの問題があるからではないか」との邪推も招きかけません。いずれにしろ、義務教育段階の中学生を大人並みに扱うのはどうでしょうか。
 最近の新聞やテレビの表現の背後には、いわゆる個人情報の問題がありそうです。警察の発表がどうであったかわかりませんが、事件報道の場合、公的機関はプライバシーの保護という観点で情報を隠す(または最小限しか出さない)ケースが多いと思われます。また、マスコミの方にも、一部に「発表をうのみにする」「発表以上に追及しない」ケースも指摘されています。
 個人情報の保護は尊重されなければなりませんが、当然公開すべき情報が隠されたり、その一方で、ネットで個人情報が垂れ流しされたりしているのはそれこそ問題です。表記の問題にぜひ、留意していただきたいと思います。

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