本年も、12分の1が既に過ぎ去り、立春も過ぎ、とうとう年頭所感の時期を逸した。年明けから、滋賀県邦楽邦舞専門実演家養成所の研究会があり、長栄座の出演交渉と記者発表があり、しが県民芸術創造館での次世代育成ユースシアターの稽古と本番等々、昨年にも増して忙しい年明けで、いささか暴走気味の感は否めない。
遅ればせの年頭所感。皆さんは、年末年始をどのように過ごされただろうか。私事で恐縮だが、毎年主人と年末に箱根温泉旅行にでかけるのが恒例になっている。二人とも地域での活動ゆえ、普段は離れて暮らす日々の慰労も兼ねて、1年の疲れを癒す。箱根駅伝があるため、元日自宅に戻り、お屠蘇と関東風御雑煮で新年を寿ぐことがささやかな幸せである。
しかしながら本年は、-新年明けましておめでとうございます-という年初あいさつが、いささかはばかられる年であった。素直におめでとうと寿ぐことができない思い。それは取りも直さず、東日本大震災への祈りの思い。大晦日からの年越し番組「ゆく年くる年」の司会者も年初挨拶は控えておられたように思う。皆で一緒に、国民一緒にお正月を寿ぐことができないもどかしさ。このようなお正月を過ごしたのは初めてである。
一方、主人と一緒にお正月を過ごすことができる幸せの有りがた味も重感した。いつもと同じお正月がやってきて、また一つ年をとったね。などといいながら、近くの神社に初詣に行く。そんな何気ない普通のお正月だが、それが妙に愛おしく、有難く感じられたのは私だけだろうか。
人間は時に愚かである。従って、失ってからでないとかけがえのない大切なものの重要さがわからないという。確かに、二十歳で両親を失った私としては、命の大切さや両親の愛情の深さのことを、その後一人で暮らすごく当たり前の日常でふと感じたことがあった。
昨年の反省を踏まえて、今年の意気込みを考える年頭。しかし、2012年の初春は特別だった。そんな心境のなか、文化や芸術の必要性について改めて考え直すよい機会になった。芸術活動の社会的な意義や公立文化施設が社会に果たすべき役割も再考してみた。芸術活動で何ができるのか。社会から試されていると改めて考えた。東日本大震災の復興とともに、自分自身も成長していきたいと思った。そして何よりも、被災者の方々が普段通りの幸せな生活ができるよう祈った。心に寄り添う支援活動。継続していきたいと誓った。