第68回滋賀県文学祭(平成30年度)
第68回滋賀県文学祭審査結果
出品作品内訳
応募者総数 | 芸術文化祭賞 | 特選 | 入選 | 奨励賞 |
736人 | 8人(各部門1人) | 53人(8部門合計) | 93人(8部門合計) | 2人 |
※奨励賞は入選受賞者の中から30歳以下対象
芸術文化祭賞受賞者
・小説 | 安積 こう | (あさか こう) |
・随筆 | 榊原 洋子 | (さかきばら ようこ) |
・詩 | 島田 照世 | (しまだ てるよ) |
・作詞 | いとう かおる | |
・短歌 | 平居 玲子 | (ひらい れいこ) |
・俳句 | 尾﨑 恵子 | (おざき けいこ) |
・川柳 | 今井 和子 | (いまい かずこ) |
・冠句 | 小森 和美 | (こもり かずみ) |
第68回滋賀県文学祭入賞者一覧(PDF形式:335KB)
芸術文化祭賞受賞作品講評
小説
「飛鳥の流星」 安積 こう
選評
大化改新前の緊迫した甘樫丘を舞台に、蘇我倉山田石川麻呂の長女である大魚(おうお)の矜恃ある生き方を描いている。
今をときめく鞍作(蘇我入鹿)に久しぶりに会って「なんと肝のすわったお媛様だ」と言わせた私、大魚はそこでしばらく鞍作と言葉を交わす。その後、私は中大兄皇子との政略結婚の相手に選ばれた。私が乗り気でないことを察した妹が、身代わりになることを申し出てくれた。
作中に二度登場する流れ星が、誰もが知るあの政変と、それに伴う姉妹の運命を暗示する。巧みな仕掛けである。
流麗な文章と豊かな語彙を駆使して物語を紡ぐ卓越した力量で受賞となったが、例えば「お嬢様」というような当時使われていたはずのない言葉が会話文中にしばしば出てくるのが気になった。上手の手から水が漏れるのである。
随筆
「五百円玉に映る心」 榊原 洋子
選評
作者はコンビニでの支払い時に小銭を落とし、拾って帰ったはずであったが、その後、コンビニに行くと、前に落とされていたと五百円硬貨を渡され受け取る。落としていたのか、半信半疑であったが、その場は正直で親切な店員に感動していた。ところが、自分の勤める職場で、五百円落とされたと言われて貰って帰ったが、間違っていたと、返金があった。自分と同じようなことが重なり、コンビニでの五百円硬貨は自分のものではないと、後ろめたさにさいなまれ、友達の言葉から募金箱へ入れ心の整理をする。
世相は、「まあいいか」、「面倒だ」で済まされ、たかたが五百円玉一枚と言ってしまえば終りであるが、落とした人、拾った人の心の正直さに感動する作品である。
詩
「円卓」 島田 照世
選評
幻想的な世界に感じるところがあった。とはいえ作品世界に描かれている景物の個々に幻想を感じるものは少ない。その配置に工夫が懲らされている。人々が挙って行なう引っ越しとは?、またそのような引っ越しが行なわれる村とはどんな村なのかは読者が想像する世界となる。ただ作中の「さよならはその後の仕事」というフレーズは幻想の浮動を鎮めるべく降ろされた錘鉛のように感じられた。そして円卓で少女と会うところや新月の夜の設定などで作者が組み立てた幻想世界が「物語」となって読者に届くようにと工夫されている。だから読者がゆったりした心境で臨めば折々の物語が味わえる、そんな含みのある作品である。
作詞
「拾いました恋心」 いとう かおる
選評
さすが実力は本物だ。タイトルも魅力的。言葉遣いや情景描写も上手い。読んで誰もが笑顔になれる素晴らしい出来映えだ。軽やかな微笑ましい歌になりそうだ。ただ一点、強いて言うなれば、終わりから二行目のフレーズに一考が必要か。その他は文句なし。
短歌
平井 玲子
・信長の激しさ継ぎて奇祭たり左義長の山車生命滾らす
・山車と山車荒波のごとぶつかりぬ男(お)の闘争心むき出しにして
・今一度会ってみたくて探しみる私のヒーロー古き書棚に
選評
近江八幡の左義長祭に取材して詠まれている。かつて信長自らも踊ったと言われる祭り。赤を基調とした山車は、まさに信長の激しさを物語っている。その様子を「信長の激しさ継ぎて奇祭たり」あるいは「山車と山車荒波のごとぶつかりぬ」とダイナミックに詠い、興味を抱かせる。三首目の「私のヒーロー」は連作として見て、信長であろうか。左義長を見た後の高揚感がうかがい知れる一首だ。
俳句
尾﨑 恵子
・母の日や赤子に戻る母抱く
選評
高齢社会の中で認知症になった母を介護する作者、葛藤の末、赤子に戻ってしまった現実をやさしくつつみ込み、家族の愛があふれ、すばらしい一句となった。
川柳
今井 和子
・淋しさを抜けた水ですうたってる
選評
「淋しさを抜けた」から痛切な淋しさが読み取れる。それは、最愛の人との永久の別れによるものだろうか。
いま、その淋しさから抜け出してうたっている。
ここでの「水」はまさしく作者自身であり、淋しさをすっきりと拭いさった美しい歌声、それが句のなかをせせらぎさながらに流れている。
冠句
小森 和美
・像ゆれる 穏やかならぬ虚夢ひとつ
選評
冠題「像ゆれる」の「像」はどのようにも想像出来ます。自分の像であったり、他人の像であったり、またはいつかの、どこかの景色であったりと、限りなく句想は広がり佳句が多くありました。
この句は難解な句です。難解な故にまさに現代冠句といえるのでしょう。齢を重ね、親しい人の死に接することも増えてきたこの頃、この先私はどうなるのだろうとふと思うものです。唯一のなぐさめである天の美しい花園さえも所詮虚しいだけの夢と・・・はかなげな心象風景が一篇の詩のように立ち上ってきます。