第72回滋賀県文学祭(令和4年度)
第72回滋賀県文学祭審査結果
出品作品内訳
応募総数 | 知事賞 (各部門1人) |
特選 (8部門合計) |
入選 (8部門合計) |
奨励賞 (8部門合計) |
743点 | 8点 | 52点 | 93点 | 該当者なし |
※奨励賞は入選受賞者の中から30歳以下対象
知事賞
・小説 | 夕住 凛 | (ゆうずみ りん) |
・随筆 | 木村 敬子 | (きむら けいこ) |
・詩 | 谷口 明美 | (たにぐち あけみ) |
・作詞 | 叶 恋 | (かのう れん) |
・短歌 | 山田 静子 | (やまだ しずこ) |
・俳句 | 茂森 美代子 | (しげもり みよこ) |
・川柳 | 小原 由佳 | (おはら ゆか) |
・冠句 | 澤 希 | (さわ のぞみ) |
第72回滋賀県文学祭入賞者一覧(PDF形式)
知事賞受賞作品講評
小説
「筏師仙吉朽木谷を奔る」 夕住 凛
選評
朽木では大川(安曇川)を使って、産出される木材を筏に組み、琵琶湖まで運んでいた。その仕事をする筏師の仙吉は十七歳、銀次と勘太と組になって、筏を連ねて大川を下る。仙吉は陣屋町の飯屋の娘、お紋と恋仲であるが、紋の父が大黒屋から金を借りたことで、そこの三男と結婚しなければならなくなる。あくどい絡繰りで店を乗っ取られることも目に見えていたが、仙吉たちにはどうすることもできなかった。お紋の婚礼が迫っていた頃、仙吉たちは川の異変に気づく。山津波だと直感した仙吉らは筏に乗り、村々に危険を知らせた。これが契機となり、殿様に大黒屋のことを訴えることができた。
筏に乗っている様子や、その感覚が瑞々しい感性で表現されていた。脇役の働きなどの伏線も効果的に配置され、完成度を高めており、知事賞にふさわしい作品である。
随筆
「共演」 木村 敬子
選評
一般市民を募って開かれる第九の合唱、その合唱団に六十五歳の父が参加をすることになった。演奏者である作者は、初めは恥ずかしさもあって戸惑うが、真剣に取り組む父の姿に惹かれていく。いつしか二人で舞台に立てることを誇りに思い、応援するようになる。
十二月になったある日の早朝、矢橋の浜で歌ってみたいという父と湖岸に向かう。琵琶湖に向かってって堂々と歌う父。
その父が舞台を目前に倒れるが、ベッドの上で、意識のないまま第九の一節を口ずさむ。奇しくも本番の日に旅立つ。
父と作者の心の交流や親子の絆が、第九の合唱に取り組む姿を通して感動的に描かれ、温かな作品になっている。死は悲しい出来事ではあるが、矢橋の浜で冬の琵琶湖の水面に駆け抜けた父のソロが、読み手にも聞こえてくるような、余韻の残る文章なった。
詩
「台所はパレット」 谷口 明美
選評
日常的に食事を作る場である「台所」を「パレット」に見立て、精緻に詩が構築されている。第一連のカラフルなイメージから転じて、第二連で作者の日々の葛藤が「わたし流で苦闘する」暗い色調に変転する。出来合いの料理に逃げたくなる気持ちに打ち勝ち、決して手を抜かないのは、作品で描かれた味噌汁を作ることだけを指すのではなく、作者の生き方そのものであろう。第三連の帰宅した娘の様子を想像して読者もまた安堵する。何ら特別でないと思っていた毎日の繰り返し作業が、詩の力によって、かけがえのない非日常体験に変じる秀作である。
作詞
「ころころころり」 叶 恋
選評
きちんと仕上がった作品です。
お母さんの膝でだんごむしのように背中を丸めて寝ころんだ僕のかわいい情景が浮かんできます。とうさんの背中でころころする情景もほほえましいですね。
「ころころころり」はリズム感のいい言葉で童謡や絵本にはよく使われます。ありがちなリフレインで独創性には欠ける気がしますが、覚えやすいフレーズで、歌いやすい童謡になることと思います。
「とおさん」は意図があってのことかもしれませんが、童謡という観点からも「とうさん」と表記されたほうがいいのではないかと思います。
短歌
山田 静子
その呼び名ゆかしき〈馬車道〉歩めども古道たちまちバイパスに呑まる
馬車道の尽きしあたりの夏空にいまし湧き立つ積乱雲は
馬十五頭つねに待機の駅舎跡にしろじろ長けるハルジョオンの群れ
選評
「馬車道」をテーマとした連作。一首ごとの表現の工夫によりいにしえの情景が個性的に造形化されている。三首目は名詞の具体的な提示により象徴的な景への収斂がより強く意識されている
俳句
茂森 美代子
義民碑の伝ふ熱石灼くる
選評
野洲に天保義民碑が建っている。この時代の飢饉に喘ぐ百姓一揆の犠牲となった人たちの慰霊碑。「熱」は「ほとおり」と読む。義民の覚悟の一念を「石灼くる」と詠まれ一揆の犠牲者を悼む。
川柳
小原 由佳
わたしへと向かうことんと落ちる時
選評
「わたしへと向かう」とは、ああやっとわたしになれる、との思いであり暗に「眠り」を提示している。
そして、背景として何かで疲労困憊し、わたしの存在を見失った様子が読み取れる。
また、「ことんと落ちる時」とは、今まさに深い眠り入るときであり、何とも魅力的な言葉である。
冠句
澤 希
疎林ゆく 明日に帰りの杖はなく
選評
非日常からの「疎林ゆく」の一句です。疎林のうら寂しい風景に心象を重ねられ、誰もがいつか迎える人生の終章を詠われた秀句。「杖はなく」と具体的に道具を持ってこられたことで、鮮やかにとぼとぼと歩く一人の人物が立ち現れるところを評価したいと思います。疎林を抜けたずっと先には浄土や天国があると宗教は説くのでしょうか。哀しい句はいっそう読む人の心を引きつけます。