第65回滋賀県文学祭(平成27年度)

第65回滋賀県文学祭審査結果

出品作品内訳

応募者総数 芸術文化祭賞 特選 入選 奨励賞
905人 10人(各部門1人) 60人(10部門合計) 105人(10部門合計) 2人

※奨励賞は入選受賞者の中から30歳以下対象

芸術文化祭賞受賞者

・小説  中原 遊(なかはら ゆう)
・随筆  榊原 洋子(さかきばら ようこ)  ※「榊」は木へんに「神」
・童話  村井 由美子(むらい ゆみこ)
・詩   西中 奈緒(にしなか なお)
・作詞  いとう かおる(いとう かおる)
・短歌  我孫子 紀郎(あびこ のりお)
・俳句  北村 美代子(きたむら みよこ)
・川柳  山本 知佳子(やまもと ちかこ)
・冠句  渡邉 君子(わたなべ きみこ)
・情歌  高山 清子(たかやま きよこ)

第65回文学祭選考結果(PDF形式;177KB)

芸術文化祭賞受賞作品講評

小説

「鬼の念仏」  中原 遊

選評

                    
 大阪で冬と夏の陣が終わり、徳川方が落武者狩りを行っていた頃の話。東海道と伏見街道の分岐点にある追分で暮らす平太の家に、土埃に汚れたおこもという女が住み着くようになった。平太は消し炭で仏画を描き、家の前に並べて旅人に売り生計を立てるようになる。やがて、おこもは武装した一団に捕らえられた。彼女は豊臣秀頼の落し胤だった。一月後、平太の家に白木の櫛が投げ込まれた。それは、以前平太がおこもに買い与えたものだった。いつしか平太が描く仏画の中に鬼が胸のところで掌を合わせているものが見受けられるようになった。その蓬髪の上には安っぽい櫛がのっていた。
 ストーリーの展開がよく、煩悩にもてあそばれながらも懸命に生きる人々の姿が生き生きと描かれている。鬼の念仏の絵の由来がうまく創作されており、リアリティがある。映像が目に浮かぶような筆力があり、まさに芸術文化祭賞に値する秀作といえる。

随筆

「一期一会」  榊原 洋子 ※「榊」は木へんに「神」

 

選評

                        
 この作品は温泉施設に勤める作者と自転車で日本縦断の途中入浴に来た二人の青年との出会いである。青年たちはテントを張らしてほしいと頼むが、施設の決まりで断った。しかし今から見知らぬ土地でテントを張るところがあるだろうかと、作者は孫のような青年たちに心配がよぎり、夫に電話して、「家に泊まっていきなさい」と青年たちを泊める。一夜の会話は夫も交え弾み大学のこと、家庭のこと、「家族の人は心配しているでしょう」「二、三日おきにメールしている」と返事が返り、自分の孫に接するように安堵する。
 作者は早朝、鹿児島県佐多岬を目指す青年たちを見送るが、それから毎日青年たちのことが心配で、今頃はどこを走っているだろうか、雨だがどこで寝ているだろうかと、気にしながらも、一期一会であると自分に言い聞かせ、メールすることをためらっていた。
 十日あまり経って「無事佐多岬に到着した」とのメールを受ける。作者は押さえていた心配か吹き飛ぶかのように返信する。数日後、小包が届き佐多岬の饅頭とゴールの写真が入っていた。二人の青年を一泊させたと思っていたが、よく我が家に泊まってくれたと思いなおす。昨今の世相は人と人の関係が暗いニュースになることが多いが、この作品は一生に一度の青年たちとの出会いをさわやかに書き上げ読者の心に残る。

童話

「ぼくの『こころ』を食べたキリン」  村井 由美子

選評

           
 寓話的な要素を持つ作品。ぼくの心象風景が、草原を背景に描かれます。独自な発想を見ました。四章の「ぼくの描いた絵」のイメージは秀逸です。草原の絵の中に、ぼくは、キリンの親子を描き足します。次の朝、親子は消えていました。帰るべき所へ帰ったのです。足跡が草原の奥へ続いているところは、余韻があります。わかりにくい構成ですが、恐怖をこえたら寂しくて、その寂しさがなつかしい……大人の心の動きにも触れてきますが、子どもの読者にもこの寂しさは感じ取れると思います。

「稲の一生」  西中 奈緒

選評

                    
 稲の一生を人の成長過程と対にして作品を展開している。ともすれば安易に擬人化して人のほうに引き寄せがちになりそうな主題であるが、作者は両者を対置させて、あくまで稲の主体性を保っている。真摯に言葉が重ねられていて一見かたそうな雰囲気を感じるが、読み進むうちに「おたまじゃくしがこそばがゆい」というフレーズや、稲穂の成長を少女の成長に自然に溶け込ませるところなどの実に心憎い表現に遭遇してこの作品の神髄に気づくことができた。

作詞

「春うらら」  いとう かおる

選評

                      
 素晴らしい作品に仕上がっている。心地よい言葉の流れ表現の仕方がとても上手い。特に結び二行は秀逸。情景と主人公の気持ちがマッチして、ほんのりとしたお色気も感じさせてとてもいい雰囲気を醸し出している。
 文句なしと言いたい所だが、難を挙げれば、二番目の二行目「びいどろ硝子」は明らかに重複語なので以後充分注意されるように。

短歌

我孫子 紀郎

選評

・釣られてもなほ笑ひをる大鯰わが終末も斯くのごとくや
・玉葱の皮剥く厨夕暮れて読みしカフカの実在むなし
・デパ地下の大筍の無愛想軽佻浮薄時代を嗤ふ

 三首一連を貫くテーマは「命の終末」か。釣り上げた「大鯰」「カフカ」「大筍」、と耳目を惹く事柄を誇張とも衒いとも見えるリアルな詩性は評価される。しかし作者自身の感度の高いアンテナに捉えた歌材を生かす点からは三首一連を読む限り、表現力の喘ぎが聞こえるばかりである。

俳句

北村 美代子

選評

・しゃぼん玉太陽いくつ連れていく            

 童謡のしゃぼん玉を想像させる。日光に映えて美しい色彩を呈する沢山のしゃぼん玉も途中で消えてゆくもの。遠くまで飛んで行ってしまうものとさまざま、お日さまの子になるのは、いくつかな。楽しい一句である。

川柳

山本 知佳子

選評

・どこまでも潜る 青いを忘れない             

 知・情・意(知性と感情と意志)のバランスがよく取れて整っている。一般的に、あまりに端正な作品は平坦に見えてしまうこともあるのだが、この作品は選者全員の推薦を得た。「青い」に若さや潔癖さがうかがえる。また、どのように生きて、ものごとにどう取り組むかという作者なりの希求が感じられる一句である。

冠句

渡邉 君子

選評

・音確か 骨壺に母 小さく抱き              

 幾つで別れようとも、母の死ほど切なく、もの悲しいものは無い。
 海山に勝る恩愛を受けた母の余りにも小さな骨壺を抱いたとき、溢れる涙とともに思い出が次々と浮かんできます。
 「音確か」の冠題が胸に迫って、何とも言えない感情に浸りました。

情歌

高山 清子

選評

・そんな芝居に似た様な過去があって子役に泣かされる    

 選者四人が揃って掬いあげた久しぶりの秀逸!
 人にはそれぞれドラマがあり人生がある。
人情劇に描かれた涙の芝居を必死に演じる痛々気な子役。そこへ自分の生き様を重ねて涙ぐむ主人公。
 作品を詠む我々もまた、振り返る己が人生一コマ一コマの巻き戻しに、思わず目頭を押さえる。原作のあるシナリオとは言え、共感を呼ぶこと必至……立派な秀逸!